北極海航路は通航可能な海となった。1917年のロシア革命により誕生したソビエト連邦は当初世界から孤立し、北極海航路の利用が避けられなくなった。北極海航路はヨーロッパ・ロシアとソ連極東を結ぶ最短航路であるだけでなく、ソ連の内水を通る唯一の長距離航路であり、対立する国の領域内を通る他の航路の代替となりうる航路だったからである。
1932年、オットー・ユリエヴィッチ・シュミット(Otto Yulievich Schmidt)率いるソ連の探検隊は、史上初めてアルハンゲリスクからベーリング海峡まで、越冬せずに一夏で北極海航路を横断した。1933年と1934年の試験航海を経て、1935年には北極海航路は正式に開通し商業利用に供された。翌年、ソ連海軍のバルチック艦隊の一部が北極海航路を移動し、日本軍との衝突が予想されていた太平洋沿岸地域へ回航された。
北極海航路を管理するソ連の政府機関・北極海航路管理局(略称:グラヴセヴモルプーチ;Glavsevmorput)は1932年にオットー・ユリエヴィッチ・シュミットを長官として設立され、北極海航路の航行や北極海の港湾建設などを監督した。
ソ連時代は「レーニン」などの原子力砕氷艦が北極海航路に就航し活躍したが、ソ連崩壊後のロシア経済の混乱と北極海航路利用の必然性の消失により、1990年代を通して北極海航路の商業利用は衰退し続けた。多少なりとも定期航路と呼べる航路は、ムルマンスクとエニセイ川河口のドゥディンカを結ぶロシア西部の航路と、ウラジオストクとチュクチ半島のペヴェク(ペベク)を結ぶ極東の航路のみである。ドゥディンカとペヴェクの間にはティクシなどの港が建設されていたが、冷戦後はほとんど寄港する船がない状態である。しかし、地球温暖化による北極海の氷の減少により、距離も短く、不安定な中東にあるスエズ運河や海賊の多いマラッカ海峡などを通らない北極海航路に注目が集まっている[1]。2005年と2008年には夏の数週間、北極海航路から氷が消え北極海航路が開通していたことが観測されている
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北極海航路沿岸の港湾のうちいくつかは年中凍らない不凍港である。西から、コラ半島のムルマンスク、カムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー、日本海側のウラジオストクやナホトカが挙げられる。極東のマガダンやワニノなどは冬には流氷が押し寄せる。北極海側の港は7月から10月は使用可能で耐氷船が運航する。またドゥディンカへは年中原子力砕氷船が運航する。
極地では磁気嵐が盛んに起こるため、航海に不可欠な無線通信や衛星測位システムなどが使えなくなる状況も考えられる[3]。また、激しい寒さ、荒れる気候や霧の多さ、海面を漂う流氷も安定した航海を妨げる問題である。東シベリア付近の航路では水深が20mほどの浅さになる部分もあり[4]、船舶の大型化が制約されるおそれもある。
同航路沿岸は放射能汚染への懸念がある。特にノヴァヤゼムリャには核実験場があり、1961年には水素爆弾のツァーリ・ボンバ(RDS-220)を使用して人類史上最大の核実験が行われた。