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神道事務局 祭神論争

1880-1881年の論争。東京の日比谷に設けられた神道事務局神殿の祭神をめぐって神道界に激しい教理論争が起こった。神道事務局は事務局の神殿における祭神として造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)と天照大神の四柱を祀ることとしたが、その中心を担っていたのは伊勢神宮大宮司の田中頼庸ら「伊勢派」の神官であった。これに対して千家尊福を中心とする「出雲派」は「幽顕一如」を掲げ、祭神を大国主大神を加えた五柱にすべきとした。

伊勢派のなかにも出雲派支持者が多く出たが、伊勢派の幹部はこれを危惧し、明治天皇の勅裁により収拾(宮中三殿の遙拝殿と決定、事実上の出雲派敗北)した。政府は、神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識したといわれている。
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1919年、朝鮮神宮(京城)の造営に際して政府は明治天皇と天照大神とを祭神とした。これに対して靖国神社の三代目宮司の賀茂百樹は「朝鮮民族の祖神」の「檀君」もまつるべきであると主張した。
1945年8月15日、太平洋戦争の敗戦以後、神道周辺の状況は一変した。連合国最高司令部から、同年10月に政治的、社会的及宗教的自由に対する制限除去の件が、12月15日には「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並に公布の廃止に関する件」、いわゆる「神道指令」により、神社は国家から分離することが日本政府に覚書の形で通達され、国家神道の時代が終わった。

1946年2月2日には神祇院が解散し、皇典講究所・大日本神祇会・神宮奉斎会が合同して翌日3日に神社本庁を設立、宗教法人としての神社神道が再出発した。

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2009年11月29日 23:13に投稿されたエントリーのページです。

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