朝鮮半島では17世紀ごろから自らを中国文明(大中華)に次ぐ「小中華」であるとする「小中華思想」が形成され、周辺国である満州や日本、琉球を夷狄とみなした。江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使たちは、日本に対して、「男子はみな半幅の青布でへそから下を被っている。はなはだしいのになると隠さない」、倭国の草履は「前部に一本の縄があって、そこに足指を掛けて挟んで歩く。その形はひどく奇怪である。足袋は蛇の舌のようである[2]」などと日本の風習を夷狄視する記述を見せている。 それが近代に入ると、その「野蛮人」であったはずの日本人に植民地支配をされ、「小中華思想」をもとにした民族主義から、より強い反日感情へと繋がった。
韓国の建国当初の民族主義は「反日主義」一辺倒で、「日帝に対する闘争」を掲げることで民族の紐帯を醸成していった。
韓国の朴正煕大統領は著書『国家と革命と私』で、次のような言葉を遺している。
「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
「姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」
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「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」
「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」
朴正煕は独裁体制(維新体制)を確立すると、「国籍ある教育」を掲げ、歴史教育の目的として「民族の中興の使命を達成するための主体的民族史観」がうたわれるようになった。また、一方で開発独裁による経済発展を推し進め、「漢江の奇跡」と呼ばれる飛躍的な発展を遂げることに成功し、韓国人が誇るに足る国へと成長していった。とはいえ、日韓基本条約における8億ドル(当時、無償分だけでも当時3億ドルで、現在の円換算にして1兆800億円に相当)にも上る莫大な賠償金をもとにすれば、「奇跡」と評するには大きな疑問が残る。